もくもく学習帳

2011年生まれの息子と父の学習帳

普通の子どもは教科書が読めてない

AIで東大合格を目指す「東ロボくん」のプロジェクトで知られる新井紀子のインタビューを読みました。AIの研究の中で、子どもたちの読解力が深刻な状態だということが見えてきているという話です。

 

前著『コンピュータが仕事を奪う』が非常に興味深くて、少し前から注目している研究者です。そういえば『計算とは何か』は途中で積読になってるなぁ…

コンピュータが仕事を奪う

コンピュータが仕事を奪う

 

 

冒頭の記事には例題として簡単な読解問題が載っています。「ごく簡単」と思えるようなものですが、これが子どもたちに出来ていない。えっ、こんなに出来ないの?と衝撃を受けるレベルです。こんな状態なのに、小学校から英語やらプログラミングをやらせてる場合じゃないだろう、アクティブラーニングなんか無理だろう、という。ごもっともです。

しかし中学・高校生が教科書を読めていないということは、小学校以来の国語教育が「普通の文章を正しく読む」技術を習得させるという点では残念ながら失敗している、とはっきり言わざるをえないように思います。じゃあどういう教育/トレーニングをすれば読解力が向上するのか、というのが次の課題になると思いますが、まだまだこれからですかね。例えばこういうのやったら違いがでるのかどうか、気になります。

論理エンジン小学生版1年生―どっかい・さくぶんトレーニング

 

ここで使われているリーディングスキルテストの話題になると、必ずと言っていいほど「問題が悪文」という批判が出てきます(はてなブックマークとかでも)。もちろん教科書の文章をもっとわかりやすくする、というのも改善の方法ですが、私達が社会で触れる文章を全部そうやってわかりやすくする、というのは無理な注文だと思います。だって世の中の文章のほとんどは普通の人が書いているんですよ。普通の人が普通に書いた報告書や企画書や説明書を我々は読める必要がある。だから読みやすさに特別に配慮した文章だけ読めてもダメで、それなりに整合的な文章であれば正しく読めるようになっていないといけないわけです。

私は個人的には物語や韻文を読むような「文学鑑賞」と、一般的な文章の読み書きをする「日本語」を分けたほうがいいんじゃないかと以前から思っています。文学を読んだり読書感想文を書いたりするのは、音楽や図工と同じように芸術教育として切り離したほうが、日本語の運用能力の育成に集中できるんじゃないかなぁ、と素朴に思うのですが。わけないほうが良い理由ってあるのかな。

 

さて、じゃあウチの子は大丈夫かって話ですが、リーディングスキルテストを実施している教育のための科学研究所の「よくある質問」に

本テストは小学6年生以上を対象として設計されています。 
小学生低学年は読解の発達段階にあり、正確な診断ができません。
小学6年生以上での受検をお勧めします。

とありますね。やはり低学年のうちはまだよくわからないようです。でも、もし中学受験とかするなら6年生で「あ、やばい」とか気がついても遅いですよね…。よく見てやらないと。

あと、前に低学年の間の語彙力について書きましたが、今回の記事は語彙よりも「…以外の」みたいな機能語がちゃんと読めてないという話ですから、ちょっと違う角度ですよね。読書はたくさんしているのに読解問題がイマイチ、みたいな話はよく見かけますが、そういう問題と関連してそうですね。

 

 新井教授の新著、さっそく購入しました。

AI vs. 教科書が読めない子どもたち

AI vs. 教科書が読めない子どもたち

 

 帯に「人工知能はすでにMARCH合格レベル」とあります。「東ロボ」くんが東大を断念したというニュースは見て知っていましたが、MARCHはいけるのかよ…。なんだか大変な世界に息子を送り出さなければならないのですね…。これから中身を読んでいろいろ考えたいと思います。

 

にほんブログ村 子育てブログ 2011年4月~12年3月生まれの子へ にほんブログ村 受験ブログ 中学受験(本人・親)へ